◆Story~序章~

★Chapter1

会社と家の往復。仕事の忙しさと
誰かと深い関係になるための

勇気のない、恋に臆病な自分―――。

月に数えるだけ、行きつけのBarで
話すだけの間柄を恋愛だと思い込んでた。
自分勝手な妄想―かんちがいー

鈴井早紀子:「ねぇ、カヤト君。剣崎さんの誕生日っていつ?」

『Bar vague~ヴェイグ~』は、
平日の水曜日と金曜日の夜にだけ開店する
会員制のBar。

その店は、いつも私の恋愛相談を聞いてくれる
年下の生意気な青年。月島カヤト君が営む店。
カヤト君のBarと剣崎さんのイタリアンレストランは
隣り合っていて、レストランの閉店後に
私の片思いの相手。イタリアンレストランの
シェフ、剣崎ジョウジさんと
たまに一緒に飲める特別なBar。

今夜も仕事を早々に切り上げてBarの開店と
同時に滑り込んだ。
夕方に同僚の女の子と占いの話になって
剣崎さんの誕生日を知らない事実を知る。

月島カヤト:「なに? ジョウジの誕生日なんて聞いてどうすんの?」
鈴井早紀子:「え、だって。生年月日で相性占いとかしたいじゃない」
月島カヤト:「くだらない」
鈴井早紀子:「もう、どうしてそういうこと言うかな?」
月島カヤト:「占いなんてあてにならない」
鈴井早紀子:「そうかなぁ……声かけるきっかけにはなりそうだけど」
月島カヤト:「剣崎さん、私と相性いいみたいですよw って?
       それを聞いたジョウジも反応に困りそうだけど」
鈴井早紀子:「相変わらず、カヤト君は私に厳しいな」
月島カヤト:「僕がこうなのは、おねーさんに始まったことじゃないし、
       誰にでもこんな感じだから、今さらじゃない」
鈴井早紀子:「そうだけど」
月島カヤト:「誕生日にプレゼントあげたいから、
       誕生日教えてって 普通に聞けば?」
鈴井早紀子:「え……、でも、私がそれを買ったとして
       剣崎さんが受け取ってくれるとは限らないじゃない」
月島カヤト:「いや。プライベートでお酒を飲む間柄で、
       おねーさんの場合、ジョウジの店の方の常連でもあるんだし、
       普通に知人、友人の立場から贈ればいいよ」
鈴井早紀子:「その口ぶりからすると、カヤト君はもらったことがあるの?」
月島カヤト:「まぁ、女性の会員も多いBarだし。なくはないかな。
       もらったお礼は店でのサービスで返すって感じで。
       ジョウジも同じ感じじゃないかな?」
鈴井早紀子:「え。剣崎さんって他にも……」
月島カヤト:「客商売していると仕方なくない?
        ジョウジの場合は人当たりもいいし、人気あるんじゃない?」
鈴井早紀子:「カヤト君も黙ってればかっこいいけどね」
月島カヤト:「黙ってれば余計。それはこっちのセリフ」
鈴井早紀子:「どういう意味?」
月島カヤト:「そういう意味」

ふたりの空気が少しピリッと張り詰めた瞬間。
それをかき消すようにBarの扉が開いた。

★Chapter2

舘崎コウザブロウ:「相変わらず仲がいいな、カヤトと」
鈴井早紀子   :「専務」
月島カヤト   :「舘崎さん、いらっしゃい」
野崎リュウセイ :「仲がいいっていうか、口げんかしてたよね」
鈴井早紀子   :「野崎部長」
月島カヤト   :「リュウセイさんも、いらっしゃい」

少しイラついていた様子だったのに、お客さんが
顔を出した瞬間。人当たりの良さそうな雰囲気をして
出迎えるのはさすがだ。

とはいえ、入店してきたのは、
商品企画課の事業部長で、日本最大級のネットショップの
ウェブサイト『MISUMI Web Japan』通称MJ の統括責任者。
そして、三住商亊の専務取締役でもある上司の舘崎さんと
同じく舘崎専務とは入社が同期で、経理人事課の責任者。
野崎部長だった。

カヤト君と古くからの付き合いだという、大手商社の
管理職である舘崎専務と野崎部長は、ずいぶん前から
この店に出入りしていたらしい。
ふたりがきっかけで、私も、カヤト君のBarと
剣崎さんのレストランの存在を知った―――。

野崎リュウセイ「ふたりで何の話してたの?」

野崎部長がウィスキーを注文し舘崎専務はスコッチを注文する。
ふたりともそれぞれお気に入りのお酒があるらしく、
ボトルを定位置から取り出すと、カヤト君がそれぞれのグラスに
氷を入れる音がカラン、と響く。

月島カヤト:「おねーさんが、ジョウジの誕生日知りたいんだって」

野崎部長の質問にマドラーでかき混ぜたウィスキーの
水割りを差し出しながらカヤト君が答える。

舘崎コウザブロウ:「へぇ。そういえば、俺も知らないな、ジョウジ君の誕生日」
野崎リュウセイ :「僕は顧問税理士だから知ってるけど、個人情報だから教えられないよ」
鈴井早紀子   :「そうですよね」
舘崎コウザブロウ:「そもそも、俺、誕生日にプレゼントをあげるって発想をしたことがないな」
鈴井早紀子   :「え!そうなんですか?」
舘崎コウザブロウ:「まぁ、貰うことはあるけど」
野崎リュウセイ :「コウザブロウの場合は誕生日が堅苦しい謝恩会みたいになるしね」
舘崎コウザブロウ:「そうなんだよなぁ。誕生日ぐらいゆっくりしたいよ」

舘崎専務の家は日本最大手商社舘崎商事を設立した元貴族の家柄で
政界や財界にも顔が利く。舘崎家の関係者がほとんどの持ち株を所有するという
舘崎商事の代表取締役には、専務のお父さんが任務についている。

だけど、専務は、舘崎商事の代表取締役という立場よりも権力があると
謳われる舘崎家の現当主という立場にあるらしく、その関係で忙しくしている。
普段の専務からはそんな事情を伺うことは知らないが、きっと大変なのだろう。

舘崎コウザブロウ:「ん? ジョウジ君からチャットだ」
野崎リュウセイ :「本当だ。っていうか、グループチャットに投稿してるね」
月島カヤト   :「というわけで、おねーさん。本人に直接聞いてみなよ」
鈴井早紀子   :「う……うん」

★Chapter3

毎月第三金曜日は、私、カヤト君、舘崎専務、野崎部長、そして。
剣崎さん。この五人で雑談交えて話しながら終電までお酒や料理を楽しむ日に
なっている。もちろん、営業中だから他のお客さんも来たりするけど。
開店から閉店までいるのは、たいてい、この五人。

剣崎ジョウジ:「はぁ……やっと終わった」
鈴井早紀子 :「お疲れ様です」
剣崎ジョウジ:「彼女ちゃん。ありがとう」

舘崎専務と野崎部長の話によると、剣崎さんは懇意にしているお客さんの
家にケータリングすることになってその打ち合わせに行ったらしい。
なんでも、有名モデルの家だったらしく、意外に大人数のパーティプランで
大変だったとか。

剣崎ジョウジ  :「百名越えのパーティプランはキツいね」
鈴井早紀子   :「そんなに?」
剣崎ジョウジ  :「立食とはいえ、まぁ、いろいろ考えるよね。芸能人って派手で相容れないなぁ」
野崎リュウセイ :「ジョウジ君の容姿はそこらの芸能人より派手なのに」
剣崎ジョウジ  :「よく言われる。昔、弟と歩いてたらしょっちゅう芸能スカウトされたけど」
月島カヤト   :「下町育ちの庶民気質だからな、ジョウジは」
剣崎ジョウジ  :「というか、親父の影響だと思うけど」
舘崎コウザブロウ:「ジョウジ君の親父さんは、理想のお父さん?だと思うぞ。
          まぁ、キャラ性はさておき」
野崎リュウセイ :「本当にいい人だよ。今度、おじさんの居酒屋にお邪魔するって
          言っておいてほしいな」
剣崎ジョウジ  :「親父は、舘崎さんも野崎さんも大好きだからな。喜ぶと思う。
          もちろん、そのときは彼女ちゃんも一緒に来てね」
鈴井早紀子   :「え!いいんですか?」
剣崎ジョウジ  :「もちろん、カヤトも来るだろ?」
月島カヤト   :「ジョウジの親父さん。僕には、小うるさいからやだな。
          ちゃんと飯食ってるのか、とか、日陰にばかりいるな、とか」

剣崎さんは押上に住んでいて、荻窪に住んでいる私とは逆方向になる。
飲み会開催日は土曜日や日曜日の夜になることが多く、参加が難しい。
だから、なかなかプライベートで会うことはないけど。数カ月に一度開催される。
剣崎さんの実家の居酒屋でやる飲み会にはまだ一度も参加できていない。
ここにきて、実家の方での飲み会に参加できるなんて、チャンスかもしれない。

剣崎ジョウジ:「俺に似て世話好きなんだ。というか、一応、お前は俺の
        オーナーで上司なんだし、心配してんだろうな」
月島カヤト :「なにそれ。まぁ、おじさんの作る料理も美味いし、そこだけ
        期待できるかもしれないけど」
剣崎ジョウジ:「年季が違うからな。あれは俺も再現できないよ」

少し話しているうち、舘崎専務と剣崎さんがダーツで勝負することになり、
カヤト君がダーツボードを操作するため、カウンターを離れる。

鈴井早紀子  :「野崎部長はダーツしないんですか?」
野崎リュウセイ:「コウザブロウの相手をジョウジ君がやってくれて助かってる」
鈴井早紀子  :「そうですか」
野崎リュウセイ:「うん、ここに来ると、カヤト君やジョウジ君がいるからいいよね」
鈴井早紀子  :「野崎部長、疲れてます?」
野崎リュウセイ:「鈴井さん! ちょっと聞いてくれる? 今度何したと思う?」
鈴井早紀子  :「また、舘崎専務ですか?」
野崎リュウセイ:「そうなんだよ。なんでも、今度、香水フェアをやるとか言い出して」
鈴井早紀子  :「え! いいですね、フレグランス。最近は自然派で自作のも増えてきてますし。
          ハイブランドも力を入れている分野ですよ」
野崎リュウセイ:「それくらい、僕だって知ってるよ。それで、コウザブロウ。世界中の香水を
         取り寄せ始めちゃって……」
鈴井早紀子  :「えええっ! 世界中の?」
野崎リュウセイ:「おかげで、専務室とその隣の経理事務室が、いろんな匂い混ざって
          やばすぎなんだよ。昨日から鼻がおかしいかも」
鈴井早紀子  :「そ、それは災難でしたね」
野崎リュウセイ:「まったく、アイツのあれ。どうにかなんないかな。マジで」
鈴井早紀子  :「文句言いながらも、片付けしているの、野崎部長ですもんね」
野崎リュウセイ:「そういえば、僕以外にも専務室を片付けてくれてる人がいるみたいなんだけど
          鈴井さん、誰か知らない?」
鈴井早紀子  :「え!ええっと……」
私が片づけてるんだけど、勝手にいろいろイジってるのバレたら怒られるかも。

鈴井早紀子  :「そうですね……河田君、とか?」
野崎リュウセイ:「河田ぁ? あー、上司に媚び売るために動くタイプか」
鈴井早紀子  :(ごめーん。河田君)
野崎リュウセイ:「それとも、コウザブロウに押し付けられてるかのどっちかだな。
         それは逆にパワハラで問題になっちゃうな」
野崎リュウセイ:「このストレスは、今日の推しワンコちゃんに癒されるに限るよね」
野崎リュウセイ:「あ、鈴井さんも一緒にどう? 最近は和歌山県のマメまるくんって
         ポメちゃんが可愛いんだよね。僕は大型犬のシェパードが一番好き
         なんだけど、小型犬や中型犬もワンコちゃんはどの子も可愛いよねぇ」
鈴井早紀子  :「あははは。ですね。可愛いですよね、ワンちゃん」

野崎部長はそう言って、大きなため息を吐くと、動画サイトを立ち上げて
犬の動画や画像検索をし始めた。野崎部長の日課らしいけど、いちど、ワンコ談義に
はまってしまうと、抜け出すのが難しい。
犬を飼ってないのに、犬を飼っている人と、ばっちり話が合う。犬カフェめぐりが趣味だとか。
スマホケースも可愛い犬柄だし、ワンポイントで犬グッズを持ってるし。
犬好きだけど、独り身で仕事も忙しく、専務の世話もあるので、
犬を飼うどころじゃないのだとか。
だから、将来は絶対に犬飼うんだと、いつも言っている。

賑やかでもあり、楽しくもある、お気に入りのBarでの時間。
私はこの時間が大好きだった。そしていつか、剣崎さんと両想いになって
お付き合い出来たら、そんな夢のようなことを思っていた―――。